治癒力はどこからくる? 3

人びとは医師を信じ、頼って、自分の健康に注意を払わなくなりました。


病に効くくすりが簡単に、それも妥当な値段で手にはいるんだ、心配することはないじゃないか、というわけです。


・・・ところが、体内のバクテリアはたえず抗生物質に抵抗する新種をつくりだしていることがわかってきました。


そうなると、医師は投与量をふやすしきません。


そのうち、どんな新薬にも抵抗するある種の連鎖球菌の場合のように、量をふやしても効かなくなるという現象が起こってきました。


化学者や生理学者はいま、効く抗生物質、探しにやっきになっています。


抗生物質の大量摂取がどんな障害をもたらすのかがまだ解明されていないというのに、あえてリスクをおかす必要があるでしょうか?


動物実験で抗生物質の大量投与の影響を研究している専門家から聞いた話ですが、摂取した薬剤の7割は体内での行き先が判明していますが、残りの3割が長期にわたってどう作用するかはまったく不明だということです。


症状を長期聞おさえつけているところからして、わたしは、それが免疫系を低下させることに関係していると考えています。


その「おさえつける」という抗生物質のはたらきも問題にしなければなりません。

治癒力はどこからくる? 2

わたしがこのやりかたで成功をおさめているというのに、そんなはずはないと考える医師があまりにも多いので、アリゾナ大学医学校の有志がわたしの中耳炎治療の実際をビデオで記録することになりました。


何台かのカメラの前で、わたしはいつもと同じ治療をしました。


治療はうまくいき、そのときの患者の主治医も最後には納得してくれました。


・・・というのは、それから半年たっても、患者が再発しなかったからでした。


それまでは、治っても2か月以内に必ず再発していたのです。


わたしは同じ方法で何百人もの子どもたちの治療にあたり、ほとんどすべてのケースで、薬剤の副作用をまったく心配せずによくなっています。


抗生物質の問題点は、それが不必要な場合にも使われているということだけにとどまりません。


わたしにいわせれば、それは間接的に、人びとから自分の健康に責任をもつという自覚を奪う役割をはたしています。


第ニ次世界大戦後、医師が大縫の抗生物質をもって戦場から帰還してきました。


・・・そして人びとに、医学はとうとう万病に効く魔法のくすりを発明したと吹きこんだのです。


治癒力はどこからくる?

患者が「これで治るぞ」と思うように手助けをすれば、治癒の反応が活動をはじめます。


・・・・しかし、くすりが、とくに抗生物質がすべての感染症の解決法だと考えるのは早計です。


たとえば、子どもの中耳炎には2、3週間の抗生物質投与が標準的な治療法になっていますが、それよりずっと安全で効果的な方法があります。


それは症状を起こしている真の原因をしらべることです。


たいがいの医師が抗生物質を使うのは、耳の感染が耳のなかだけで自己完結的に起こっていると考えているからです。


しかし、問題はじつは、その子どもが生まれたときからはじまっていることが多いのです。


直腸呼吸反射の不全によって、頸部と上背部のリンパ液排出がうまく機能せず、そこに溜まってしまうことが多いのです。


だから、治療が必要なのは耳ではなく、からだ全体です。


わたしはまず骨盤と胸郭の緊張をゆるめます。


・・・すると、リンパ液が全身に流れるようになります。


そこで、グリセリンを少量、耳のなかに落としてやるのです。


中耳炎はこれできれいに治ります。

言語は、汎用性大・代替性小 2

建築器具のM社は、製品不良を誘発するごみを工場から一掃すべく、現場から各種のごみを拾い集めてそれを数十枚のベニヤ板に貼りつけ、工場のごみの状況として再現しました。


私もそれを見ましたが、現場の人たちも、その生々しさに唖然としてしまったそうです。


第二は、代替手段の選択です。


できる限り、事実を忠実に代替しうるものを選びたいものです。


多くの場合、ビデオ、写真、絵、図など、ビジュアルなものがよく、やむをえない場合に言語です。


概念をビジュアルなものにしようとすると、一般的にはむずかしいので、自ずと事実でないことがわかってきます。


別に芸術的である必要はありません。


へたなイラストでもよいでしょう。


何でもよいからそれらを総動員して、できる限り一目で見てわかるようにすることです。

言語は、汎用性大・代替性小

横須賀線の車掌さんの中に名物車掌と言われた人がいて、「お忘れ物のないように」の決まり文句のアナウンスではなく、電車が駅に着くごとに、事実データを提供するのです。


いわく「去年の国鉄での傘の忘れ物は何十何万何千何百ありまして・・・」とやるのです。


生々しさの鮮度はともかく、このアナウンスによって、私はもちろん周りの人も、身の回りと網棚を一瞬見回すことになります。


事実は神だと思います。


事実を共有したその組織集団の人びとは、その状況に自ずと参加してしまうこととなるのです。


では、より生々しく再現するためには、どうすればよいのか。


第一は、現場、現物であって、これに勝るものはありません。


松下電器産業社長の谷井氏は、社長就任の弁で現場主義の徹底を語り、「経営戦略も現場から生まれる」と言っています。

事実は神である 2

人びとは誰でも、どういうわけかこれに接すると、「あっ!」と感じたり、その中にのめり込んでいくのです。


自ずとその渦中に参加してしまうようです。


先の荷札の事例は、このことを実によく示しています。


私も、アフリカの飢饅について知識としては持っていましたが、それだけに留まっていました。


それが昨今のように、骨に皮を貼り付けただけのように痩せ衰えた子どもたちの目や口元にハエが集まっている姿がテレビに写し出されると、やはり、あの人たちにできることは何かを、我が身に問いかけ始めて、じっとしてはいられなくなってきます。


誰でもがそうではないでしょうか。


私はかつて、鎌倉から東京に通勤していました。


横須賀線で新橋までは、生意気にもグリーン車のリクライニングシートで、うとうととしていい気持ちの一時間でした。


新橋駅に着くと、大勢の降りる人のざわめきと車内や駅のどでかいアナウンスで目を覚ますのですが、私は忘れ物の"常習犯"でした。

事実は神である

半月、1カ月もすると、定時まえに作業は終わり、機械は拭き上げられ、周囲もきれいになっていきました。


そうなると、物の置き場所とか置きかたにまで工夫がされだしてきました。


当然クレームもなくなりました。


A氏が、「きれいになったね」と声をかけると、彼女たちはにっこりとして応えた。


ある精機工機工場では、予算管理に、帳票ではなく、子どものおもちゃとして市販されている金券に工場長印を押したものを使っていました。


某量販店の大売り出し日の閉店後の店長ミーティングは、その店長の前にその日の売り上げ現金を積み上げてやっているそうです。


是非はともかく、生々しさこの上なく、さぞかし迫力があることと思います。


数字の場合だと、文字の違いを頭で識別して理解するわけですが、積み上げられた札束なら、誰の目にも一目瞭然です。


生々しい事実というものは、不思議な力を持っています。

未完成な街をどう立て直すか 4

製材機能が衰えてしまった以上、新木場全体の街づくりを考え直さなければいけません。


丸太の浮いた水面を囲んであまり生産性の良くない製材工場があるというだけにしておくのはもったいないでしょう。


もっときちんとした住宅市街地や業務市街地がつくれる場所です。


丸太を浮かべている水面は部分的に埋めてリクリエーションの場にしたらよいのです。


ここにも臨海型の洒落た住宅市街地ができる可能性があります。


新木場の北側には公園があったり水面があります。


さらに北にさかのぼれば砂町の下水処理場があります。


しかしこの地域は全体的にまとまっていません。


東西線の砂町の駅から新木場にかけての地域に散在する、中途半端につくられた公園や都市施設、それに水面をまとめて大公園をつくることを考えてみましょう。


東京の西側で、東京オリンピックのあと代々木公園をつくったのと同じように、東側に新しい江東公園をつくるくらいの意気込みで大公園をつくるのです。


健康のためのノルディックポールもできます。


そのようにすれば江東区のイメージはがらりと変わってくるでしょう。

未完成な街をどう立て直すか 3

新木場駅の南側には"新木場"があります。


新木場にある木材関係の企業は、外国の木材を国内で売りさばく問屋と、外国からきた丸太を製材する工場の2つにグルーピングされます。


この製材機能は今低迷しています。


製材をする若い労働者が東京圏にもはやいません。


仮にいたとしても大変労賃が高いのです。


たとえば3隻の船が北米材を日本にもってきて、一つの船は新木場で、もう一つの船は名古屋、3隻目は広島でおろすとします。


丸太を製材してきちんと普通の柱板につくり替える工賃は、東京の工賃を1とすれば、名古屋は0・7、広島は0・5です。


そのうえ東京の丸太を引く工員さんの年が60歳だとすると、名古屋が45歳で広島が35歳。


広島の方がずっと能率が良くて安いのです。


丸太は広島で製材して、運賃をかけてでも東京へもってきた方が安いです。


東京は、今や製材をする職人を生み出さなくなってしまいました。


・・・そんなことをするよりも歳をとったらガードマンになった方がよほど楽だという街になってしまいました。

未完成な街をどう立て直すか 2

次に江東区の将来について考えてみましょう。


つまり、江東区の南半分をどういうふうにしたらよいのだろうかということです。


その基本的な土地利用計画はまだ十分に検討されていません。


江東区の南半分は戦後急速に埋め立てられたところです。


昔の江東区民は本来東西線から北に住んでいました。


東西線より南に住む人はほとんどいませんでした。


そこに戦後いろいろな新住民が住みついたのです。


創価学会 仏壇を販売する仏具屋さんもあります。


それでもまだ江東区の南半分は、成熟した市街地として認識できるほど人は住んでいない、未完成な市街地です。


支離滅裂で、どういう街にしていいかわからない現在の状況から早く抜け出す必要があります。


住商の混在型住宅地、流通基地、あるいは新しい人に住んでもらう洒落た臨海型の住宅地・・・


そして公園用地、オフィス街をきちんと配置した再開発計画を立ててゆかないと、荒廃したカサカサの街になってしまいます。


江東区の南半分の中で重要な場所の一つが新木場です。


ここからは京葉線で東京駅に行けます。


JR線が13号地をへて横浜に行く分岐点ですし、有楽町線もここに乗り入れています。